頑張る人を見ると元気がでる

苦手なことでも頑張る姿を見ると少しのミスでも関係なくなる経験をした。

 

それは、川口にある銭湯での出来事であった。

 

その銭湯は3日間限定で朝湯を開催していた。

 

銭湯に行くと女性の番頭さんがいた。

私がはじめて訪れたことを聞くと、遠くからはるばるありがとうございますとか、いろいろ親切に話しかけてくれた。

 

一通り話がおわり、脱衣所へ行くとロッカーの鍵がない。必死に探してもなかったので、受付に戻ったところ、渡し忘れたようだった。

 

その時、私は番頭の人は話が苦手なのにもかかわらず、一生懸命対応することに追われ、鍵を渡し忘れたのかもしれないと思った。

 

そのように感じたのだ。

一生懸命に何事にも向かう姿は何よりも素敵だとおもう。

なんだかうるさい

私は迷惑をかけているのもわかっているつもりだ。

 

未熟であることも、わかっているつもりだ。

 

でも、なかなか、行動にうつせない。

 

「わかっているなら、なおすことができる」なんて言葉は、自分の首を一層きつく縛る言葉にしか聞こえない。

 

こうでありたい自分・社会通念上あるべき姿と今ここにいる自分との違いが徐々に大きくなっている気がする。

 

その違いが大きくなると感じる度に、追いつこうとする意欲もなくなり、余計についていけなくなる。

 

もう全力で走ったり、無理してペースを上げたりするのは限界なのかもしれない。

 

また、新しい歩き方を考え直すときがきているのかもしれない。

 

 

優等生よさようなら

私は真面目に生きていた。

 

真面目に生きざる得ない状態であったのかもしらないし、自分が真面目に生きることが好きであったのかもしれない。

 

しかしながら、真面目に生きることがすべてうまくいくとは限らないかもしれない。

 

今はとにかく、「しっかりとした自分でいること」になろうとするだけで、嫌気がさしてしまう。

 

だからといって、今の生き方を変えられるほど、勇気もない…

 

世の中で自分が一番扱いにくい(・_・;